枠を外す-音楽は楽しくない-
私は3、4才の時に本当はバレエが習いたかったにもかかわらず、母親の策略から「バレエはいっぱいで入れないからエレクトーンを習いなさい」と騙されてずっとエレクトーンを習わされ続けていました。
子供の時は、まさか騙されているとは思わず後になって気づいたのですが。
母親が子供の時にピアノを習いたかったのに叶わず女の子が生まれたら習わせようと思ってそうしたのだそうです。
全くひどく話ですよね。やりたいなら自分がやって下さい。って思いますよね。
しかもピアノならまだしもエレクトーンなんて軽薄な音に思えて本当にいやでした。
そうやってやりたいバレエをやれず、何の興味もないエレクトーンを習っていたので、練習もほぼしてませんでした。
小1の時に習っていた先生が、「ブスだなあーこの人嫌いだな」と思う先生で練習してないから全然弾けなくて、腹を立てて椅子を蹴られたことがあったんです。
あの時の恐怖。狭い部屋に2人だけ、しかもなんか全てのイライラをあてられたかのような蹴りでした。あんまり感じないようにしてたけど、なかなか本当は怖かったんだな。と今になって思います。
あの時から私は音楽に心を閉ざしたんだと思います。小学校で鼓笛隊に入ろうとして落ちたり、中学校で合唱コンクールの指導をしてくれた先生が、常にイライラしていて、苦痛でしかなかったり。
何だか音楽を一切楽しくないものと思い込み、その証明をするためだけにロクな先生には出会わなかったのかもしれません。
今アメリカで合唱するための練習は、先生のイライラも押し付けもなく、楽しくやれています。歌い方に意識を向けるだけでいかようにも変化することに新鮮さを感じています。
子供の頃のトラウマが解消されたことにより音楽との新しい関係性がうまれたのかなと思っています。
自分には子供はいませんが、子供がやりたいと思うことを思いっきりやらしてあげて欲しいなと自分の経験からしみじみ思います。
結局私は、エレクトーンを高3まで習い続けました。前に職場の人にそのことを話したら行かなきゃ良かったじゃんと驚かれました。
私にはそういう発想なかったです。なんかもう諦めていたように思います。
何回も何回もやめさせて欲しいって言っても聞いてもらえなかったんです。
母親にしても相当な思い入れがあったのかもしれないです。
まぁ今は楽しく合唱やれてるし、よしとするかな。
こんな風に人には知らず知らずのうちに簡単に枠が出来てしまうものです。
母親には、エレクトーンが弾けた方がこの子は幸せになるという枠があったのかもしれない。
私には、音楽は全く楽しくないものという枠が。
母親に逆らってもムダだという枠もあったのかもしれないです。
不要な思い込みである枠から出てより自由に生きたいですよね。
私が合唱を始めて新鮮な楽しみを感じられるようになったように、枠を外せば新しい出会いがあなたを待っているかもしれませんよ。
あっこれ書いてて私は相当母親を面倒くさい人と思っていたことに気づきました。
母親に対する感情は怒りでも悲しみでもなく何だかなぁ、面倒くさい女だなって感じで止まってました。すっかり閉じてたようなので、また改めて感情を感じて軽くなろうと思います。
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